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「風の道」と私自死遺族 M(50代 女性)

私が「風の道 富山」と最初に出会ったのは、第一回目の分かち合いの会でした。
夫を亡くして二年に満たない頃で、不安と緊張と期待の気持ちを抱きながら会場に向かった事を覚えています。それまで、自死遺族の方と一対一でお会いはしたことはありましたが、そこでは、初めて数人の自死遺族の方々とお会いしました。 私の両隣に座られたのは、大切な人を亡くして数十年経った方と、まだ日の浅い方でした。
当時の私の時間は、夫が亡くなった時から止まっておりました。将来のことは勿論、一か月先...一週間先...明日のことすら考えられない状態でした。 一日一日を過ごすだけで精一杯で、生きることに意欲も希望も無く、自分に明日という未来が来ることなど考えられませんでした。

そのような時、大切な人を亡くされた悲苦と共に、自分より長い年月を過ごされて来た方々と出会ったのです。自分よりも先を歩んでいらっしゃるその方々のお姿から、 自分にも「未来」というものがあり、これから先も生きていけるかもしれないと感じ、希望と勇気を頂いたのでした。
その後、月に一度開催される分かち合いの会に、時々参加するようになりました。安心して自分の思いを話せること、他の方の話を聞くことで客観的に自分を見つめられること、何よりも「自分ひとりではない」と感じられることが、 現在も参加し続けている理由だと思っています。
止まっていた私の時間も、夫の居ない世界を五年以上過ごす間に、少しずつ動き出したように思えます。夫の自死を諦め受け入れられるようになってきたためか、自責に苛まれていた気持ちが和らいできたのか、ただただ図々しくなっただけなのか...。
ある講演で講師の方が、遺された人には、TIME(時)・TALK(話)・TEAR(涙)の「3つのT」が必要だと話されていました。 亡くなった方との関係性が深ければ深いほど、その人を忘れられるはずもなく、思い出すことは大切な供養であるともおっしゃって いました。
私にとって「風の道」の分かち合いは、そんな「3つのT」を実践出来る場となっていたのだと、その時改めて思いました。 

今も、夫の居ない喪失感や孤独感や寂しさから涙する時があります。多分、夫の自死に対する私の様々な「想い」は、多少軽くなることはあったとしても、一生消えることは無いと思います。
そんなひとりだけでは抱えきれない「想い」を胸に、これからも皆様に支え助けて頂きながら、自分の人生を生きて行ければと思っています。
(平成24年1月)
2012年04月01日