遺族の声

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挽歌(ばんか)鈴木 愛子

かからむと かねて知りせば 越の海の 荒礒の波も 見せましものを
大伴家持 万葉集17‐3959


<喪の道>

愛する人を自死で喪った悲しみは深く重い。日も経てば元気を装わざるをえない。かの人を護れなかったという後悔、自責、やり場のない怒り、逝った人の生きる「よすが」たりえなかったという空しさ、など複雑な感情に捉えられ、心はがんじがらめになる。遺された家族にも温度差が生じていく。一人ひとりが孤独の裡に喪の道を行くことになる。封印した悲嘆は降り積もり、折々に中から痛く悲しく刺してくる。


<分かち合い>

混乱のさなかから一年ほど経った頃、私は上智大学で行われていた「分かち合い」に参加した。教え諭されることもなく、過剰な慰めもら な詮索もない、たしなみのあるきの中で、同じような体験をした人たちと悲苦を語り合った。 透明で静かな時間だった。固く脆くなった私の心にやわらかい風が吹いたようだった。悲しみを「悲しむ」ことができるようになった。それから、数年後、自死遺族の集まりを(東京で)立ち上げた 。これまで延べにすると数千人の自死遺族の方たちのお話を伺ってきた。


<風の道>

2007年の12月、県のこころの健康センターから富山で自死遺族の分かち合いを!の声が寄せられた-ミッションのようだった。翌年2月、サンシップの小じんまりした和室で最初の分かち合いがあった。
ほどなく思いもかけない篤い支援がもたらされた。富山市のど真ん中!の一室が(無償で)提供されるという。代表を先頭にスタッフも事情をかかえながらも、みな頑張っている。
私たちは額を寄せ合い、無理やりの「別れ」とその悲しみ・苦しみを分かち合う。窓からは、四季折々に美しい城址公園とかっこいいトラムカーが見える。
[風の道(富山)]が生まれて3年が過ぎた。行政、篤志、遺族当事者がうまくかみ合っているケースとして、「富山モデル」などと評されているらしい。


さて、冒頭は万葉集の挽歌。葬送のとき、を載せた車をひく歌を挽歌というが、「風の道」はまさにその詠唱の場とも言えよう。挽歌はどれも切なくも哀しい。

2012年04月01日