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スタッフ研修会

平成22年度「スタッフ研修会」その1 東京みずべの会 明英彦さん

2010年9月4日、私たちの会は、他の関係団体にも声をかけて、「スタッフ研修会」を行いました。講師に全国自死遺族連絡会の田中幸子代表(仙台「藍の会」)、明 英彦さん(東京「みずべの会」)の二人を迎え、遺族を取り巻く問題を語り合い、 情報交換をしました。お二人とも、とても辛い体験をされながらも、前向きに生きていらっしゃる姿に勇気づけられました。

自死遺族とうきょう自助グループ「みずべの集い」 明 英彦 氏

(1)自助グループ立ち上げの経緯
2005年19歳の一人娘を境界性人格障害で亡くした。1年間自宅で療養したがついに力尽き、私たちの手元から翔びたってしまった。葬儀後、妻は深い悲しみのあまり、4ヶ月入院した。 退院後は、住まいも変え、娘の写真もおかず、家具もすべて買い換えた。主治医より「自死遺族の会に参加しては。」とアドバイスを受けた。当時、都内に4つの家族会(うち1つは自助グループ)があった。 妻は電車が苦手で、一人では参加できず、当初は私が同伴していた。
2006年12月、私は自助グループに、子どもを亡くしたスタッフとしてかかわるようになり、これで心のバランスも保てるようになった。自分に合っていたと思う。徐々に、自分の会を立ち上げたいと思うようになっていった。
2008年、自死遺族連絡会の第1回フォーラムで仙台の「藍の会」の田中幸子さんに出会った。彼女から上智大学の岡知史先生の著書「セルフヘルプグループ」を紹介された。これが活動の支えになった。11月にブログでスタッフを募集し、 メールでのやりとりの後、2009年2月に、最終的に私を含め5人が集まり、「みずべの集い」とネーミングし、3月22日に第1回目の分かち合いを開いた。
「みずべの集い」の基本方針は、「自殺予防」には関わらないこと、心に負担をかけないようハードルを低くし無理をしないこと、である。また、死別対象(子ども、パートナー、親、兄弟etc.)ごとの対応を重視している。 これはブログ上でも同じである。現在、世田谷の玉川区民会館で、第4土曜日午後に行っている。終了後は喫茶店で1時間フリートーキングをし、最後にスタッフ反省会を行っている。
分かち合いのスタイルは、まず、ルールの確認と自己紹介、そして死別対象ごとに分かれ、休憩後に参加者全員で集う。これは、ほかの立場の人の話を聞いてみたいという希望もあるためである。 今はスタッフ7人。みんな代表のつもりで、司会も持ち回りでやっている。

(2)立ちあげて感じたこと
基本的に分かち合いは、同じ遺族だから成立すると考えている。これは私の会の基盤である。ただし、自助グループが万能とは思っていない。時に場がなごみ笑いが出るような会を好む人がいる一方で、静かに寄り添ってもらいたいという遺族もいる。 遺族が自分の気持ちに沿った会を選べる事が重要だと思っている。
同じ言葉でも、ある人にとっては傷になる。遺族同士がお互いを傷つけてしまうこともある。またグリーフワークには、こうした集いだけが万能ではない、とも考えている。 後ろを振り向きたくないという人もいるし、それぞれ自分に合った形でよい。集いのほかに、メールや電話で繋がっている人もいる。
スタッフには誰がなっても構わない、と私は思っている。スタッフとしては、こころの安定が肝要と考えている。スタッフになる事が心の張りという人もいる。「みずべの集い」でも2人だけだった事がある。 すべからく会を持続することは、難しい。

(3)自死遺族の二次的被害について
グリーフケア・サポートプラザ理事長であり精神科医でもある平山正実先生が去年の12月に提案をされた問題である。自殺対策基本法が出来た事によって、何が変わったのか?という思いを私はずっと抱いていた。 遺族が直面している問題は何ら解決されていない...例えばアパートの大家、不動産会社から法外な損害賠償を求められたり、理不尽な要求を突きつけられたりする。検死料も地域によって異なる。 人の終わり方の違いによって、社会が死に差別をつけるのはおかしい。

今、全国自死遺族連絡会が事務局となって、署名15万人を目標として頑張っている。年間の自死者数3万人超え、一人の自死者に深刻な打撃を受ける遺族が5人位の遺族がいる。 そこからくる15万人である。運動には大きなうねりが必要である。ぜひご協力願いたい。
2012年04月06日